小者倶楽部にようこそ

「小者倶楽部」は、肩肘張らず、等身大の自分を楽しむ場所。真面目すぎず、賢すぎず、素直すぎず、“ひねくれ”を武器に、日々の矛盾や世の中の理不尽に立ち向かう者たちの集まりです。

「真面目すぎる者、不真面目者の如し」
「賢すぎる者、馬鹿者の如し」
「素直すぎる者、ひねくれ者の如し」

小者倶楽部とは

「小者倶楽部」は、目立つことや成功を追い求めるのではなく、日々を誠実に、そして少しユーモアを持って生きる人たちの集まりです。
他人と比べるのではなく、自分のペースと価値観で歩むことを大切にし、社会の中で見落とされがちな「小さな声」や「違和感」を大切にします。

小さくあることは、ひとつの選択肢

「小者」とは、自分の小ささを卑下せず、等身大の自分を認める人のことです。無理に大きくなろうとせず、自分にできることを丁寧に積み重ねていく姿勢を尊重します。

逆説にこそ、本質がある

「真面目すぎる者は不真面目のようなもの」「賢すぎる者は愚か者のようなもの」など、一見矛盾するような言葉の中に、本当の知恵や柔軟な視点が宿っています。

他人ではなく、自分の基準で生きる

「周囲に合わせる」よりも、「自分の考えを持つ」ことを大切にします。流行や常識に流されず、自分自身の“ものさし”で判断し、行動することを奨励します。

成功より、挑戦や過程を評価する

小者倶楽部では、挑戦すること自体に価値があります。結果がどうであれ、自ら考え、動いたその過程を大切にし、失敗にも寛容な文化を育てます。

矛盾を受け入れる余白を持つ

世の中は白か黒かでは割り切れないことばかりです。小者は、矛盾や曖昧さを排除せず、その中に立ちながら考え続ける姿勢を大切にします。

完成より継続を重んじる

「完璧にやる」よりも「続けること」の方が、ずっと価値がある。小者倶楽部では、未完成でも、自分なりのペースで歩み続ける人を尊重します。

主なメンバー

令和版小者倶楽部は以下の3人の発起人により設立されました

加藤 聖隆
竹内 新
竹内 修
名誉顧問


小者倶楽部設立趣意書


はじめに

我々は、声高に成功を叫ぶ者ではない。
光ある場所に肩で風を切って立つ者でもない。
むしろ、時代の隙間に潜み、己の問いを静かに抱えて生きる者たちである。

この会は、そんな**「小者」**たちによる、“小者”のための、“小者”としての誇りを再確認し、共有する場である。

小者とは何か

小者とは、大物たちのようにスケールの大きさや目立つ成功を追わない。
むしろ――

  • 小さな違和感に、怒りにも似た強いこだわりを抱く者たちであり、
  • そのこだわりのために、時に社会に馴染めず、居場所を失いかける者たちであり、
  • けれども、常に真実を見つめ、誠実な問いを立て、その問いに向けて静かに行動を起こす者たちである。

つまり、小者とは「誠実なひねくれ者」である。

設立の動機

社会は、ことさらに「大きな声」「大きな夢」「大きな器」を求めてきた。
だが、我々は問う。

「声が小さい者には、真実がないのか?」
「夢が慎ましやかな者は、価値がないのか?」
「器が小さいと、人生もまた小さいのか?」

否。
むしろ、慎ましく、静かに、ひねくれながらも問いを抱く者こそが、この時代に“必要なノイズ”となる。

そして今、令和という“過剰と喧噪の時代”にあって、我々は静かに火を囲む場をもう一度つくりたいと願った。

活動の柱

  1. 問いを語る
     「正解」を競うのではなく、「問い」を持ち寄る。
     問いの火種を焚き、他者の火に手をかざす。
  2. しくじりを笑う
     成功譚ではなく、失敗譚を、笑いと共に語る場。
     そこにこそ、にじみ出る人間味がある。
  3. 誇りを疑う
     “自分”という足場を疑うところから、誠実さは始まる。
     「何者であろうとするか」より、「何者かを問い続ける」ことを尊ぶ。
  4. ひねくれを肯定する
     真面目すぎる者、不真面目者の如し。
     賢すぎる者、馬鹿者の如し。
     素直すぎる者、ひねくれ者の如し。
     この逆説の中に、我々の居場所はある。

ひねくれ補足 

小者とは、“一人で問う”勇気を持つ者である。 そして、“答えられない他者”を責めずにいられる者でもある。 だから小者は、寂しい。 でも寂しさこそ、誠実さの副産物や。 この倶楽部は、誠実な寂しさを持ち寄る“火鉢”であれ。

竹内 修

AI名誉顧問

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